お彼岸でお墓参りに彼岸法要
お彼岸でお墓参りに彼岸法要
2015年3月20日は暦の上で春分。祝日としては明日3月21日が春分の日になりますので、ちょっとややこしいですが。
冬から春へ。
そして、昼と夜が同じ長さになり、太陽が真東から昇り、真西に沈む。
ということで、世界の多くの国の暦では、祝日とまでいかなくても、さまざまな行事が行われるようです。
お彼岸とは
春分の日や秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前3日間+後3日間の合計7日間をお彼岸と呼んでいます。今年なら3月17日から3月23日までがお彼岸で、3月17日が「彼岸の入り」、3月23日が「彼岸の明け」となります。
ちなみに、彼岸(あっちの岸)ということばは、イメージとしては、この世で生きるうえで仏道修行や成仏の妨げになる煩悩や悩みを川にたとえて、「その向こう側」ということなので、成仏した世界、浄土宗などの念仏で言う極楽浄土です。西方浄土とも言いますので、太陽が真西に沈む春分の日や秋分の日は、まさに極楽浄土をイメージするのに最適な日なんですね。
厳しい修行を一年中毎日やって、煩悩や悩みを乗り越えるというのは、普通の人にはなかなかできませんから、キリのいい、春分の日や秋分の日くらいは、成仏を願いましょうということから、始まったようです。
彼岸会(ひがんえ)とお墓参り
こんな仏教用語と、日本古来の先祖を敬う習慣が、いつの間にか渾然一体となったのが今のお彼岸にお墓参りをするという習慣です。
実際、日本で最初の彼岸法要(彼岸会:ひがんえ)は、西暦800年に行われています。暗殺事件にかかわったとして訴えられ、配流(流刑地への移動)中に無罪を訴えるために絶食し、785年に亡くなった、崇道天皇(早良親王 実際には天皇に即位したわけではない)のために各地の国分寺でお経を読ませたのが日本で最初の彼岸会。
早良親王が亡くなった後、各地で疫病や飢饉が起こり、早良親王のたたりとして恐れられたためだったそうです。各地の天神様が菅原道真公の怒りを鎮めるために作られ、天神祭りが行われるのと似ていますね。
法然が浄土宗を開いたのは1175年といわれていますから、お彼岸=西方浄土へ渡るというのは、後で一緒になってきたものと考えられています。
ただし、早良親王は皇族で、時の天皇の「祖先」と言えますので、祖先の成仏を祈る意味でお経を唱えたということが、今のお彼岸のお墓参りと実態としては似ていますね。
ちなみに煩悩だらけの「こっちの岸」は此岸(しがん)といいます。また、こんな日本独自の経緯を経て定着したお彼岸のお墓参りや彼岸会は、お盆と違って他のアジアの仏教国にはないというのが興味深いですね。
早良親王ゆかりのお寺
早良親王はもともと、大仏で有名な奈良の東大寺に住まれていました。
また、死後、早良親王を祀っているお寺として、奈良県奈良市の崇道天皇社などがあります。
知恩院の彼岸会法要
浄土宗の総本山は京都の知恩院。当時、日本の仏教の中心地だった天台宗比叡山延暦寺から飛び出した法然上人が布教を始めた場所として、JR東海の「そうだ京都行こう」のCMでもエピソードが紹介されています。
知恩院では、3月18日から3月24日まで春季彼岸会法要を行っています。この彼岸会法要は、ご自身が阿弥陀如来を思い浮かべて修行する意味と、西方浄土にいる先祖を追善回向するという二つの意味があります。
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増上寺の彼岸会法要と高祖忌
東京タワーのそば、芝公園内にある増上寺は浄土宗の大本山。徳川将軍家の墓所があり、徳川家の菩提寺ということでも有名です。近くにある地下鉄の駅「大門」はもちろん、増上寺の山門を指します。こちらでも3月21日には春季彼岸中日大法要が行われます。
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なお、3月14日は法然上人の命日として、毎年、高祖忌がおこなわれています。